中津山香積寺

中津山香積寺の歴史

山号を、中津山チュウシンザンと称し、地域の地名としてあり昭和30年までは、村名としてあった。北上川の中州として肥沃な耕地に恵まれた土地柄であり、今日でも有数の飯米生産地として有名である。御開山は、太源派の流れを汲む法庵玄器大和尚であり、登米郡登米町寺池『龍源寺』の二世であり、師匠の天似乾済大和尚とともに、現在の愛知県 から来たと云われている。
しかし、開創は遙かに先であり、北朝光明帝康永元年(1342年)葛西三郎清重の後裔葛西左京太夫義兼の室、俗名積子、法諱香積寺殿安養常楽大姉の開基になる。当時は天台宗円頓の古道場であった。と伝えられている。康治元年(1555年)荒廃していた当寺に龍源寺二世の元器和尚が隠居して中興開山となり、永禄8年(1565年)これを道元禅師を開祖と仰ぐ曹洞宗に改宗したという。
爾来、今日の住職で三十三代目となる。江戸時代では近在にない七堂伽藍の整備された寺院として有名であり、風土記や伊達家の文献によれば、桃生・牡鹿二十八カ寺の触頭として任官色衣勅許の寺であったという。勅命により祈祷を厳修した由緒ある寺として今日でも祈祷札の木版が残っている。

法庵玄器大和尚尊像

今から250年前に当時の領主黒沢氏の側室によって寄進されたもので、書き記したものによれば高祖大師大遠忌に随喜した旅の途中京都に周り発注したものであるという。
近年になって故大川栄光氏により修復され、色彩の復元が行われた。
香積寺では開山堂中央に安置されていて、宗祖道元禅師との両祖堂となっている。

道元禅師尊像

法庵玄器大和尚尊像と同じく黒沢氏の側室によって寄進されたもので、故大川栄光氏により修復され色彩の復元が行われた。
法庵玄器大和尚尊像と共に開山堂中央に安置されていて、宗祖道元禅師との両祖堂となっている。

香積寺のお札

香積寺では、各種のお札を出しているが、伝統的なものとしては現在に至るまで 2種が伝えられている。
版木があるが、10年前から保存しており今日檀信徒に配られるものは印刷されたものである。
勅請の文字があり、伝統的に檀信徒たちの誇りとされてきた。